横内浄真会長の講話
平成29年5月13日
DREAMS COME TRUEの楽曲の一つに「AGAIN」があります。
一人で悩んだ時も 流されるしかなかった頃も
その時やれる精一杯で越えてきたのを みんな知ってる
風には負けて 雨には泣いて 転んで起きて ここへ来たよね
もう一度 今のあなたで やりきった あの涙を
もう一度 今のあなたで 悔いなんてまるでない あの最強の笑顔を
AGAIN
何も考えず ただ楽しかっただけの頃より
今は何倍も強いから 迷ってその後 ぐっと進んでる
嵐に顔を向ける姿も 陰でこぼした涙も全部
そのままで 今のあなたで 震えさせて ここにいるから
そのままで 今のあなたで 震えさせる胸いっぱいの あの最高の瞬間を
もう一度 今のあなたで やりきった あの涙を
もう一度 今のあなたで 悔いなんてまるでない あの最強の笑顔を
AGAIN
もう一度
AGAIN
これは、仕事で精進している姿であると感じます。誰かが必ず見ていてくれるのです。それを励みにして仕事をやりましょう。
さて、ここで「上田明照会の設立理念」を再確認したいと思います。
浄仏国土 成就衆生 = 上求菩提(じょうぐぼっだい) 下化衆生(げげしゅじょう)
私は「向上心を持ち、自己研鑽を怠らず、それにより得たことを利用者へのサービスにつなげる」という表現で職員の皆さんにお話してきました。少し解説すると「仏国土」の土という漢字の本来の意味合いの中には人間の心身と言う意味があります。
仏国土は自分の心・身体です。自分の心と体を清めて向上心を持ち、学んだものを利用者へのサービスにつなげていくことが大事です。
「浄土といえども完成し静止した姿ではない。きょうまで荘厳された浄土でも、それをあすへの浄土に荘厳するのが、わたし達のつとめである。」(初代会長 横内浄音)
清められる私たちの心・身体も必ずしも完成したものではありません。お浄土に近い状態にあっても毎日の精進が必要です。
次に、法人名・施設名の由来についてお話してみようと思います。ここでは法然上人が歴代の天皇から50回忌毎に頂いた諡号(贈り名)の中から幾つかを紹介します。
法人名施設名の由来
円光(えんこう)
| 元禄10年(1679)
| 東山天皇
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東漸(とうぜん)
| 朋栄 8年(1711)
| 中御門天皇
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慧成(えじょう)
| 宝暦11年(1761)
| 桃園天皇
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弘覚(こうかく)
| 文化 8年(1811)
| 光格天皇
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慈教(じきょう)
| 万延 2年(1861)
| 考明天皇
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明照(めいしょう)
| 明治44年(1911)
| 明治天皇
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和順(わじゅん)
| 昭和36年(1961)
| 昭和天皇
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法爾(ほうに)
| 平成23年(2011)
| 今上天皇
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明照 明治天皇より
和順 昭和天皇より
宝池 お寺には山号と院号がある → 宝池山九品台院呈蓮寺
月影 浄土宗歌
月影 月の光、満月の月の光は地上にいる私たちを隈なく照らしている
月の光 浄土宗のご本尊の阿弥陀様の慈悲の光 お念仏を唱える人には誰にでも阿弥陀様の力は及ぶ
甘露 甘露水=不老不死の水 甘露園は大正15年に設立されたもので当時は子どもが病気で亡くなる
病死の率が高かった。子どもが健全に成長していくようにという気持ちが込められています。
慈光 仏教のことばで、仏の慈しみの光を表しています。
蓮の音 「阿弥陀経」の一節と先代会長の法名から取っています。昨年には園の歌を作りました。
その時の気持ちは今年の明照会ニュース1月号に載せてあります。
「蓮の花の色、光、香り、そして鳥の声は個性です…」。
次に、職員の「六つの心得」についてあらかじめいただいた疑問や質問、それから仏教に関する質問に答えてみようと思います。
質問 普段何がなく起こっていることに対して自分がどのように考え捉えるのか。それにより仕事をしていて感じることや
行動などの変化が表れ、仏教で問う人間完成へ少しずつ近づくということですか?
回答 その通りだと思います。普段何気なく生起している事柄を仏教では「縁起」と言っています。
縦にも横にも命は皆繋がりあっています。命の繋がりを考えてみるとご先祖様の命の繋がりがあって今の私たちの命が
あることが分かります。網の目のようないろいろな繋がりを縁といいます。世界中に大きな網の目が架けられていると
いうお経があります。命は見えない糸で繋がっていて、人間だけでなく動物や植物の命も繋がっていると教えています。
因果という考えがあります。因(原因)と果(結果)で因果応報という言葉をよく使います。
物事には必ず起こることに対しては原因があって結果がある。その大元がどこにあり、結果がどうなるかを見極める力
を養うこと、その状態が揺るぎなく決して退くことがないことが悟りだと思います。
質問 自己中心的な見方をしないということは相手の視点に立って物事を考えるためにも必要なことだと思います。
常に相手の視点に立って考えられるよう自分を律したいと思っています。
回答 「六つの心得」を示したのは平成14年のことです。私が職員に折に触れて禁止したり、励行を勧めたりしてきた
ことがあります。まずお客様への配慮が大切です。人と接しているときの言葉遣いや立ち止まって挨拶をすることに
留意してください。仕事にふさわしい服装というものは必ずあるはずでしょう。お客様に対してたとえば道や行き先を
聞かれたようなとき、その場で説明するのではなく時間があるのならご案内するという行動が大切です。
それから、約束した時間を守る。破るということは人の時間を盗んでいるということを意識してください。
浄音会長は腕時計の針を30分進めていました。決して人を待たせてはいけないという戒めとしてこの姿勢に学びたいと
思うのです。
質問 福祉の仕事をしていくうえで感情を抑えることが求められることがあります。うまく抑えたとしても心の中が平和では
ない時もあります。抑えこんだ感情、溜まった感情はどう解消していけばいいのでしょうか。
回答 感情的になると自分が虚しく感じられてしまいます。がむしゃらなやせ我慢ではなく自分の気持ちが楽になる方策を
考えてみましょう。気分転換をしていくことや息抜きをすること、ほっとする場所やほっとできる時間を大切にして
ほしいと思います。
質問 障がい者福祉を実践していく上で仏教の持っている強みがあれば教えてほしいです。
回答 仏教は人間皆が平等であるという考え方に立っています。椎尾弁匡(しいおべんきょう)という先覚者が
「共生運動」を広げてきました。大正時代の経済的には貧しい世の中で、人間は差別なく皆が平等でなければならない
という考えで提唱されたこの運動を私たちも引き継いでいます。
お釈迦様のお弟子で周利槃特(しゅりはんどく)という人がいました。知的な障がいがあったのではないかと
先代会長が言っていました。彼はお釈迦様が教えたことをなかなか覚えられないのです。
掃除をしながら自分の心垢を武拭いたいと唱えるように教えたそうです。心の垢とはむさぼりであり、怒り、愚痴と
いう人間の煩悩です。それを取り払うようにということです。この周利槃特も後に悟りを得ることができたそうです。
質問 「六つの心得」を持てない人は福祉に就かない方がいいのでしょうか?
回答 決してそのようなことはないと思います。仏教は難しいものと考えられがちですが、私たちが生き、生活していくこと
そのものが仏教だと思っています。
質問 自我から出る囚われとは具体的には何でしょうか?
回答 自我=わがまま。自分の物差しでしか物事を観れなくなっている状態を示しています。
自我から出る「囚われ」や「こだわり」がそれです。